「妙法の行進」 〜カンボジアから、そしてインドへ〜

第1回、第2回とカンボジア宗教省及び上座部仏教界と共に行われた「妙法の行進」は、地元マスメディアも称賛する中、首都プノンペン及びアンコール遺跡のあるシェムリアップ等で世界の平和と繁栄を祈って盛大に行われ、門下を超えて日蓮聖人の御遺戒を果たすべく臨んだ僧侶・信者の参加者は、声高らかに唱題行脚しつつ、現地クメール語に翻訳された要約の妙法蓮華経は、大変な歓迎を受けてカンボジアの僧侶・信者に広く施本されました。

本多日生猊下は「法華経から阿含経が導かれたたならば、阿含は事実の教えであるから、釈迦如来が日常になされた、人生につながりのある仏教となる。それを法華経によって開顕すれば、高遠なる理想と事実を兼ね備えた仏教となるのである。」「法華経の見地より、阿含経を応用して、時代の要求に適応すべき、実際の人生につながりのある役立つ仏教として、之を復活し興隆していかねばならぬ。」「法華経並びに阿含経をよく疎通して宗派の偏見、妄想を打開して生気溌剌たる釈尊の慈訓として、之をアジアの光とし、之を世界の光として、人類に与えなければならぬ。」(以上日蓮教学精要)と教戒されておりました。今年度実施されるカンボジアでの第3回「妙法の行進」では、いよいよカンボジア仏教大学の要望により法華経についての講義も実施されることとなり、上座部仏教が法華経によって開顕できる時が近づきつつあると期待されます。

日蓮聖人の顕仏未来記には「月は西より出でて東を照らし、日は東より出でて西を照らす。仏法又以て是の如し、正・像には西より東に向ひ、末法には東より西に往く」、そして諌暁八幡抄には「日は東より西に入る、日本の仏法の月氏へ還るべき瑞相なり」とあり、月氏とは勿論インドであります。そして、5年間の継続を目指す「妙法の行進」は戦乱の荒廃より再び仏教国として復興しつつあるカンボジアを経て、いよいよ次年度は最終目的地である仏教改宗運動の起きているインドへ、仏教の聖地ブッダガヤ・霊鷲山での開催を成功させるべく準備を進めております。皆様方からの御支援・御高配の御陰を持ちまして、何とか此処まで来ることが出来ましたが、これからが大きな山場でございます。どうか、今後もお力添えを頂きたく、伏して御願い申し上げる次第であります。

インド仏教界の現状と「妙法の行進」の意義

1)仏教復興の経緯

密教化したインド仏教は、イスラム教の勢力を受け、そしてヒンドゥー教に飲み込まれるように消滅し(釈尊はビシュヌ神の九番目の権化とされる)、仏教徒の占める人口への割合は0.1%とされていたが、近代には1%にまで迫る大きな変化が起きている。

イギリス支配からの非暴力による独立運動を展開したマハトマ・ガンジーの思想や日々の実践は仏教徒に等しきものであったが、その大きな目的はインドの独立にあるが故に、敢えて仏教徒であることを表明することはなかったと考えられる。当時の深刻な宗教間の対立や紛争を避けて、多種多様なインドの民族を統一することが第一義であったからである。しかしながら、師が自らをヒンドゥーの中に溶け込んでいる仏教徒であると意識していたのは、当時の独立運動の際に知り合った藤井日達師が伝えた「南無妙法蓮華経」の題目を欠かさず唱えていたことからも推測される。

1947年、インドはイギリスからの支配から独立を達成したが、マハトマ・ガンジーは翌1948年に狂信的なヒンドゥー教徒によって暗殺される。1949年に初期の法務大臣に就任して憲法草案を起したのは、マハトマ・ガンジーの国民議会派と対立を繰り返しながらも、マハトマ・ガンジーによって初代首相ネールに推されたアンベードカル博士であった。アンベードカル博士は、カースト制度にも入らない最下層の不可触民階層(インド全体の約25%とされる)の出身でありながら、その才気を蕃王に見込まれて、コロンビア大学で経済学博士号を取得し、ロンドンで弁護士資格を得て、不可触民の解放に生涯を捧げた政治家である。現在、インドでは法的にはカースト制度は存在せず、不可触民階層は法的にも保護されているが、因習的な差別は未だに色濃く残っているとも言える。

マハトマ・ガンジーは、アンベードカル博士に先だって不可触民解放の運動をも起していたが、その政策論にあたって、その立場の違いからアンベードカル博士は政治的に激しく対立していた。やがてそれは、ガンジー主義への批判ならびにヒンドゥー教否定となり、ヒンドゥー社会の壁に阻まれていることを限界と考えたアンベードカル博士は、1951年法相を辞職して野党となった後、「仏陀と彼のダルマ」等の仏教に関する著作物を出すようになり、1956年にナグプールにおいて30万人を率いて仏教への大改宗を行う。しかしながら、彼もまた改宗の2ヶ月後に急逝することとなる。この政治的な改宗によって誕生したのが、現在のインドで増え続けている仏教人口の殆どを占める新仏教徒と呼ばれるものである。したがって、経済的にも政治的にも社会的に進出した仏教徒が近年急増する中においても、インドの新仏教徒は故アンベードカル博士を中心とする仏教と言って過言ではない。また、アンベードカル博士は、教育の重要性を説いてきたため、現在アンベードカル博士の巨大な霊廟の横には、社会に優秀な人材を輩出しているナグプール大学もある。

2)インド仏教界の現状

アンベードカル博士の亡き後、40年間以上の仏教指導者の空白を埋めることに尽力してきた人物に、インドに帰化した日本人の佐々井秀嶺上人がある。現在69歳になる師は、青年記の放浪時代に、かつて妹尾義郎氏(顕本法華宗 本多日生師に師事)の「新興仏教青年同盟」に参加していた高尾山薬王院の山本秀順師の下で得度し、その後タイに留学するものの日本には帰らずに、インドへ渡って多宝山の仏舎利建設に携わった後、ナグプールを龍樹菩薩の聖地であると信じて、「南無妙法蓮華経」と唱えながらナグプールに入った。佐々井上人の執念とも言うべき純粋さと、その40年に渡る僧侶としての破天荒な生き様は、インド或は日本の仏教関係者との間に於いても幾つかの誤解と対立を生じてきた経緯もあるが、兎にも角にも捨て身でインド仏教徒の民衆と一体となって尽力されてきた業績は、やがて佐々井上人を指導者としてインド仏教界の頂点に押し上げ、そして現在は「国家少数派委員会」の仏教徒代表としてインド政府の要職にも就いている。また、ブッダガヤ「大菩提寺」を仏教徒に奪回するという長年の運動を継続し、「大菩提寺管理委員会」の重要なメンバーでもある。

昨年度、インド副首相ならびに州知事などが出席して佐々井上人へのナグプール市民栄誉賞の授与式が盛大に行われたが、その師の法華経と日蓮聖人への敬愛は、青年期に読んだ本多日生猊下の「日蓮聖人正伝」に影響を強く受けたものであると言う。(師の要望により、統一団刊行の本多猊下の著書を贈呈した。)そして昨年度より、インドでの「妙法の行進」実現に向けて、インドへ渡航して交渉に努めてきたところであるが、その佐々井秀嶺上人から、インド仏教界としては法華経を流布する「妙法の行進」に出来る限りの協力をするので、是非とも次年度には、ブッダガヤ及び霊鷲山で成功をさせてもらいたいとの依頼を受けるに至っている。

近年、上層カーストからの改宗も含めて仏教への復興運動が続いているとは言え、新仏教徒を中心とするインド仏教界は差別を受ける民衆の自己救済とアイデンティーの確保として生まれたばかりの仏教であり、不可触民の解放運動を基としたアンベードカル博士のものからは大きく発展しておらず、またその仏教思想は、上座部仏教よりも近代的な大乗仏教に近いものである。仏教組織としての教育体制は纏まっておらず、また教義的なものにおいても空白の状態が続いている状態であるが、しかしながら、それ故に一般のインド仏教徒の大半は外から持ち込まれる仏教に対して非常に柔順な側面を持っているのも事実である。新仏教徒が今後政治的なものとして利用されるか、或は本当の仏教として再興されていくのか、大きな岐路に立っていると言えよう。この時期に、インドの仏教復興とあるべき理想的な発展のために、一切の宗教思想を開顕して統一調和する「妙法蓮華経」を、インド仏教徒と対立することなく広宣流布することは、大変重要な意義を持つ。また、この機会を逃しては、今後日蓮聖人の御遺戒を履行することは非常に難しくなると考えられる。

3)要約「妙法蓮華経」の翻訳

インドでの「妙法の行進」の際に施本される、本多日生猊下の要約「妙法蓮華経」のヒンディー語版は制作にあたっては、サルボダガヤ日印文化センター所長の文学博士ナレーシ・マントレ師が翻訳を快く承諾して下さり、現在作業中である。ナレーシ博士は、ガンジーの孫弟子にあたり、1965年に法華経を学ぶためにインドより来日して、立正大学に入学し、文学部・仏教学部を経て、1975年に博士号を取得された第一人者である。現在76歳になるが、ヒンディー語を大学等で教える他、法華経の研究者としても活発に活動されてきた著名な方である。



2005年10月 インド仏教徒アンベードカル大改宗式典祭 スピーチ
                  「妙法の行進」事務局 土屋信裕




本日は、この様な席でインド仏教徒の皆様方の前で、日本を代表してスピーチさせて頂けることは、私にとってこの上のない光栄なことでございます。

I have obtained the chance to make a speech in here today. I am very honored and I wish to express my gratitude to all Buddhists of India.

仏教発祥の地インドに、仏教を復活させたアンベードカル菩薩の偉大なる業績は、遠く日本にも届いております。そして、新しく仏教徒となられたインドの皆様が、個人の平和と繁栄のみならず、社会の平和と繁栄を築くために、釈尊の真実の教えを全インドへ広げる時が来る日を、日本の仏教徒は750年も待っていたのであります。

The great achievement of Bodhisattva Ambedkar who revived the Buddhism in  India has reached far Japan.For 750 years, We Japanese Buddhists had been waiting the time when revived Buddhists of India should spread the true teaching of Buddha all over India for not only individual peace and prosperity but social peace and prosperity.

インドで仏教が滅亡させられたのは13世紀と聞いております。その時、日本の我が宗派の開祖日蓮聖人は、日本の宗教が堕落し崩壊するのを防ぐため、国家・国民の平和と繁栄を護るために、正しい仏法を立てて必死で闘っておりました。そして、私達日本の弟子達に言い残されているのです。インドに仏教の復活する時、我が弟子達はこの妙法蓮華経を必ずインドの仏教徒へ持って行けと。

Buddhism in India was collapsed in the 13th century. At that time in Japan, Nichiren Bodhisattva, the founder of our sect, was insisting on the true dharma at the risk of his life to prevent Japanese Buddhism from being corrupted, and to save the people from distress and to regain the peace of the nation. Then Nichiren bodhisattva left a message with his disciples. When the Buddhism starts to revive in India, my followers have to bring this Myoho Renge Kyo to the Buddhist in India by all means.

この妙法蓮華経は、教主である仏陀・釈尊が永遠の実在であり、そして今も常に我等衆生を教化し続けているという真実を顕わし、そして我等仏教徒は皆、その永遠の仏陀の永遠の愛子であり、そして社会を理想の浄土とするために、永遠の弟子としてこの世に生まれてきたことを覚る経典であります。

This Myoho Renge Kyo shows the truth that Buddha Sakamuni, the World-Honoured one, is the eternal Buddha and exists through all eternity and this eternal Buddha keeps always educating all the people still now. And by this sutra, all Buddhist can realize that we are the son of eternal Buddha and we are born in this world as an eternal disciple of the eternal Buddha to build the ideal Pure Land on this world.

そして、この経典は仏教が滅亡せんとする時に、再び正しい仏教を復活させるために、偉大なる導師・指導者が、この世に現われることを予言しています。それが、日本では我が宗派の開祖である日蓮聖人として現われ、そしてこの仏教発祥の地インドでは、あの偉大なるアンベードカル菩薩として出現されたのであります。

And this sutra says that the spiritual leader appears up in this world for reviving true Buddhism again when Buddhism would be almost collapsed. In Japan, this leader appeared up as Nichiren Bodhisattva 750 years ago. In India, this leader appeared up as Ambedkar Bodhisattva 50 years ago. 

そのアンベードカル菩薩によって新たに復活したインド仏教徒を助けるため、ここに居られる佐々井秀嶺上人は、今から40年前に「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」と唱えながら、此の地インドに単身来られ、不惜身命で皆さんと共に仏教復興のために尽力されてきたのであります。

To help new Buddhists of India revived by Ambedkar Bodhisattva, Bhante G Shurei Sasai has come alone to India 40 years ago with chanting “Namu Myoho Renge Kyo, Namu Myoho Renge Kyo”and has staked his life to revive Buddhism in Indiatogether with people.

カンボジアでは、共産主義によって仏教が壊滅され、内乱によって国が崩壊しました。そして今カンボジアは、仏教の再興と共に悲惨な過去の歴史から復興のために努力をしています。そのカンボジアにおいて、私達日本の僧侶はこの要約した妙法蓮華経を、カンボジアの仏教界と共に3年間程配って参りました。そして今、佐々井秀嶺上人に呼ばれて、このインドの地に参ったわけであります。来年には、皆様にお届けできるよう、ヒンディー語の制作を只今行っているところであります。

In Cambodia, the Buddhism was destroyed by communism and the country had collapsed by civil war. And Cambodia is now making efforts to revive along with restoration of the Buddhism from a miserable past history. We Japanese monks distributed this summarized Myoho Renge Kyo for three years in Cambodia in cooperation with Cambodian Buddhism. Then I have come to here being called from Bhante G Shurei Sasai. We are trying to produce the Hindi version of this summarized Myoho Renge Kyo for people of India and distribute widely next year.

本日は、この妙法蓮華経のお話は出来ませんが、親愛なるインド仏教徒の皆様が聖なる道を歩まれますよう、ここに釈尊のお言葉を読み上げます。

Though it is not possible to talk about this Myoho Renge kyo today, I read out Buddha's word here so that dear Indian Buddhist may walk on a holy road.

賤しき人、聖なる人(Low person and holy person)

   忿(いか)りの心のある者、恨みをいだく者、
   あるいは、偽りの善を行う者、
   邪な見解をいだく者、諂(へつら)いのある者、
   かかる者は賤しき人であると知るがよい。

Those who have a hatred mind,

Those who have a grudge,

Those who practice hypocrisy,

Those who have a dishonest opinion,

Those who flatter,

You have to know these are low persons.

   (以下省略、参考「法華行者の会」HP)